【社会学】社会学とは常識を疑う学問である!「脱常識の社会学」の解説! 書籍紹介No.12

脱常識の社会学本棚

脱常識の社会学

この記事の内容:脱常識の社会学の内容の簡単なまとめ&社会学の面白さに気付く

この記事は本を紹介するための記事です。この記事に書いてあることは本に書いてあることの一部にすぎません。ぜひご自分で読んでみてください!

1.合理性の非合理的基礎

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合理性の非合理的基礎が意味することは、「合理性は非合理制の基に成り立っている」と言うことです。

歴史を見ると、一見合理的に見えるようなことが、結果として不合理な影響を及ぼしている事が多々ありました。たとえば、

  • 合理的に考えられた官僚制→文書業務により仕事が遅れ、規則や規定は実際の問題に臨機応変に対応できない。
  • 軍事的防衛のための準備行動→他国との軍備拡張競争を発展させた。

ここで、著者はエミール・デュルケームの儀礼論が、「非合理的連帯がいかにしてつくりだされるかを示してくれるだけでなく、多様な社会形態を説明しうる、さまざまの種類の連帯の理論を提供してくれる」と述べています。

デュルケームによれば、一つの契約には、契約の内容に加えて、もうひとつの隠れた側面があるといいます。それは、「第一の契約の規定を守るという暗黙の契約」というものです。

しかし、合理的に考えれば、契約を破って相手を欺いた方が得をする、という考えに至ります。

もし、相手が先に裏切ったらどうする?そう考えれば、相手より先に相手を欺こうとするのが真に合理的なのではないでしょうか?

あらゆる契約が結びついて成り立っている社会ですが、”合理的”であれば、誰もが契約を破っているはずなので、社会など生まれるはずがありません。

ですが、実際には社会が存在しています。これはなぜか。

デュルケームの結論は、契約という者は非合理的な何ものかに基づくということでした。これを「前契約的(プリコントラクチュアル)連帯」と彼は呼びました。

人々が協同するのは、それが合理的であるからではなく、他の人々が契約を守るものと信じてよいという感覚を持っているからです。一方で、この連帯的感覚とともに常に”裏切り”の感覚も存在しているのです。

ここで一つ「ただ乗り問題」の例を挙げましょう。運賃無料の共用バスがあるとします。しかし利用者はときおりバスの経費を寄付しなければなりません。寄付は完全に任意で行われます。このような場合、人々が本当に合理的であるならば、一人一人が寄付をして、バスの運営を支援することでしょう。ここで考えなければいけないのは、これは”集団に対して合理的”であるということです。”個人に対して合理的”なやり方は他の人々をコミュニティのよき市民として行動するように仕向け、自分はただ乗りすることです。そうすれば自分だけが得をすることができます。

ここで個人が考えるのは、「他の誰かがバスの経費を払ってくれる」と考え、そのために「自分一人の分くらい払わなくてもよい」と結論づけることです。しかしそれは他の人も同じように考えることなので、結果として多くの人がが「ただ乗り」をしてしまうわけです。

この「ただ乗り」問題は、物事をただにしておかない事によって克服することができます。たとえば、ただではなく、100円だけ徴収することにしましょう。すると、人々は「本当にバスに乗る必要があるのか?」という考えに至り、結果としてバスの利用者は減ります。ここで大切なのは、100円が安いかどうかではなく、有料か無料かという考えです。バスが有料になった結果、「ただで乗れるなら乗る。バスの運営などどうでもよい。」という考えがなくなったのです。

つまり重要なのは、「私たちの手にする実際の利益の客観的な価値よりも、世界についての私たちの主観的な感情である」といえます。

さらに、集団はこういった道徳感情によって成り立っていると筆者は言います。それは言い換えれば、「利害に関係なく、自分たちが同類であり仲間であるという、一群の人々の感情によって集団が生まれる」ということです。この道徳感情は社会的儀礼によって生まれるのです。

2.神の社会学

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ここで焦点が当てられているのは、「宗教における社会的儀礼の重要さ」です。

これは上に述べたような欲求の話と似た話なのですが、ここでは宗教すなわち「神を信じたい」という欲求について話をしていきたいと思います。

神を信じるという行為は強大な集団意識を作ります。

神とは絶対的なもの、つまり最上のものだから神以上に信じるものがないからです。それゆえその神を信じるという力は強大なのです。

さらにそれによって形成された集団意識は「儀礼」という形で信者たちによって守られています。しかしながら儀礼によって起こる結果には特に意味はありません。

むしろ「儀礼を行う」という行為そのものが大切なのです。

というのはお祈りしたところで現実に何が起こるかと考えると何も起こらないのと同じです。

集団のメンバーが同じことをすることによって生まれる共同体意識そのものが大切なのです。

またそれゆえに儀礼は厳格行わなければなりません。

もししかるべき方法で行わなければ、集団の一員としての役割を果たしていないことになるからです。

3.権力の逆説

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ここで述べられているのは、「権力とは行使すればするほどその実質的な力は衰えてしまう」ということです。

人間は、何かを強制されればされるほど人間としての精神力を失っていきます。

たとえば、工場長が労働者を酷使する行為は労働者のやる気を削ぎ、労働者は必要十分な最低限の労働のみを行うようになるでしょう。

つまり本来人を動かせる能力をもつ”権力”は、使われれば使われるほどその反対に「人を動かせない能力」へと変貌してしまうのです。

4.犯罪の常態制

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社会における犯罪の意味とは何か。それすなわち犯罪とは「社会が社会であるための一つのシステムである」ということ。

一つの物体を様々な視点から見ればその見え方は千差万別なのと同じように、犯罪もまた社会をある方向から見たときに見える一つの見え方だと言えます。

社会が発展していけばそれだけ多くの視点(人間の考え方)も大きくなり、人間関係も非常に複雑になっていきます。

それによって生まれる「犯罪者」という枠組みはただ一つの存在であって、善か悪かを問うものではありません。

また犯罪とはそもそも何を持って定義されうるのか。社会学者のエミール・デュルケームは犯罪は法によって定められるものだと論じました。

その法によって定められた犯罪を犯した者に罰を与えること、つまりそれも一つ社会という集団意識を守るためのいわば「社会的儀礼」なのです。これは2.神の社会学のところで述べたのと同じ論理ですね。

5.愛と所有

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愛を所有するというのはどういうことでしょう?ここでは愛する人の獲得、つまり家族の形成について触れています。

基本的に結婚とは、性的交渉を経た上での男女の関係だと本書では述べられています。ここでの所有の定義は「社会的関係性の構成」です。

つまり男性が女性を所有するというのは、女性は男性の所有物としての社会的関係を築いた、ということになります。しかしこの考え方は今や大きく変化しました。

女性の社会的進出はあらゆる面での女性のあり方を変えました。女性はより自由に行動することが可能になり、その結果家族という形態もまた変化を遂げたのです。

6.社会学は人工知能をつくれるか?

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筆者は、人工知能を作るためには社会学が最も有効な学問であると述べています。

人工知能を作る、すなわち人間を真似て新たな存在を誕生させるということです。

そのためにはオリジナルである人間の観察が必要不可欠だと言えます。

その観察という点で社会学は秀でています。

なぜなら社会学とはそもそも人を観る学問であるからです。法学なら法を、心理学なら人間の心を、そして社会学は人間に関する全てを扱います。

そのため「人工知能を作る」という目的に関しては、社会学が優れていると筆者は述べているのです。

あとがき

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筆者は、本書ではあえて述べなかったことがたくさんあるとあとがきに記述しています。

それは我々に探求を続けて欲しいという筆者の願いからでした。

社会の問題とはつまるところどのように把握するべきなのでしょうか。

本書によると、その唯一の方法は変化型(バリエーション)を探してみることであると言います。他の社会制度を持つ国を見つけ、その条件の違いを比較するといったように。

さらに、ある主題についてまだ何か興味深いかどうかが言えるかどうかは、そこでの説明がどれほどの一般性を持っているかによります。

ある社会制度が、いつ、どのように成立し、変化したのかを明確に答えられるときに初めてその主題をマスターしたと言えるでしょう。

社会学はいまだその目標からは遠い地点にあります。しかし、社会学の最良の部分は、秘密の宝石箱のようであると筆者は述べています。脱自明的な社会学は、その宝石箱からいくつかの洞察を取り出して、私たちを動かしている基底的な諸条件を理解させてくれることでしょう。

社会学の入門書として、当ブログでは「社会学への招待」という本についても執筆しています。

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