
この記事の内容:ショーペンハウエルによる読書方法の紹介!読書は思索の代用にすぎず、何よりも自分自身で思考することが善いとするショーペンハウエルの「思考」を読み解く。
この記事は本を紹介するための記事です。この記事に書いてあることは本に書いてあることのほんの一部にすぎません。ぜひご自分で読んでみてください!
はじめに

ショーペンハウエルは19世紀のドイツの哲学者です。
本書を開けばわかりますが、
なんといっても彼の文章のわかりやすさには驚きを隠せません。
これはまた訳者の斎藤忍随さんのおかげでもあります。
そしてこの本が言っているのは、
多読はするな!
ということです。
いったいどういうことなのでしょうか?
世間では、読書をしなさい!と騒ぎ立てられるのですが、ショーペンハウエルはむしろ読みすぎるなと警告をしています。
この本は「思索」、「著作と文体」、「読書について」の3篇が一冊にまとめられているので、
順に重要なポイントをまとめてご紹介したいと思います!
思索

読書は思索の代用品
まず、ショーペンハウエルによると、
読書は思索の代用品にすぎないということです。
私もよくやってしまうのですが、
とにかく有名な本を読んで知識をつけたい!
と思っていろいろな本を目的もなしに読んでしまうことがあります。
幅広く学ぶことは大切ですが、
それでは考える力をつけることはできません。
もちろん読書をすることは大切です。
しかし、自分で考えてものをいう人に多読をして知識を得た人は敵うことができません。
真の才能をもったものとは?
真の才能をもった人物とは、自分で思索して自分の考えを言う人のことです。
ショーペンハウエルの言葉を借りていま執筆している私がいうのもなんですが、
自分で思索して得た結果は他の何にも勝るものだと私も思います。
ショーペンハウエルも
一人の思想家が第一に自分自身のために思索した思想だけが、真に価値がある
と、言っています。
もし、自分で見つけ出したことが他の人によってすでに思索されつくしたものであっても関係ありません。
ここに私のおすすめする「7つの習慣」の主体的であるという考えや、「嫌われる勇気」の課題の分離の考えのエッセンスを感じます。
著作と文体

著作家の2つのタイプと、執筆の3つのタイプ
ショーペンハウエルによると
著作家には2つのタイプがあります。
ショーペンハウエルは、事柄そのもののために書くものを良い著作家とし、
書くために書いている著作家の作品は読むべきではないと言っています。
そして、
執筆すべきテーマの素材を自分の頭脳から取り出すものだけが、読むに値する著作家であるといえます。
素材と形式
素材とはすなわち、書くテーマだといえます。
この記事においては、この「読書について」自体が素材であるといえるでしょう。
それに対して形式とは、私がこの「読書について」を読んで考えたこれらの重要なポイントや、
見出し、自分の感想などが当てはまりますね。
そもそも、読者はその形式よりもむしろその素材に大きな関心を持っていますが、
著者は素材よりも、形式を重点に書くべきだと彼は言っています。
それこそが良い文章なんですね。
文体は精神のもつ顔つきである
文体は精神のもつ顔つきである。
文章を見れば、その執筆者の性格や完成などがわかるということです。
これはとても興味深い名言です。
わたしたちが普段使っているTwitterやInstagramなどの投稿を見てみましょう。
その何気ない一文にどんな意味が込められているのでしょうか?
話がそれますが、世界で一番短い手紙をご存じですか?
「レ・ミゼラブル」の作者であるヴィクトル・ユゴーは旅行中に本の売れ行きを心配し、出版会社に売れゆきを確認する手紙を送りました。
手紙には「?」とだけ書いて出版会社に送ったそうです。そして、出版社からは「!」だけ書かれた手紙が届きました。
売れ行きはどうだい?、大丈夫です!ということです。
この?や!にしても、いろいろと意味を考えることができます。
?だけを書く、ということは少なからず匿名性を求めていたり、
想像するに何かしらの緊迫した状況だったのではないかと思われます。
それか、ユゴーがおちゃめな性格で「?」だけで意味がわかるか??という出版会社への挑戦状だったとも捉えられます。
それに「!」で応じた出版会社もなかなかすごいなと思いますが(笑)
どんな言葉にも何かの意味があります。
だからこそ、人を理解するために言葉を大切にしていこうと思いました。
読書について

読書とは何か
本書によると、読書とは他人の考えを知ることだと言えます。
つまり、本を読んだからといってわたしたちは賢くなれるわけではありません。
自分で思考して初めて賢くなれるんです。
わたしもショーペンハウエルの思考をのぞき見したわけですが、
これからは自分で読書について考えてみたいと思います。
その第一歩として、この記事を書いているわけですね。
読書において大切なのは、読まずに済ます努力である。
世のなかには悪書が多くあると言います。
悪書は読者の金と時間と注意力を奪い取ってしまいます。
だから、大切なのはできるだけそういった無駄な本を読まないようにすることだと彼は言っています。
執筆者の立場になって考えてみると、
自分の記事は本当に誰かにとって有益なのか?
ということを頻繁に考えます。
ブログを始めてもう1年ほど、
大幅なブログ改造を経ていまの形になったわけですが、
これからどれだけ価値のあるブログを作っていけるか。
不安でもあり、楽しみでもあります。
何を読むべきか?
ずばり、その時代の天才が記した文章を読むべきだと彼は書いています。
たとえば
などの作品を評価しており、
逆に
の作品を批判しています。
当ブログではデカルトの「方法序説」についての記事も書いているので、こちらもご覧ください。
いわゆる名作を読む、ということですね。
ただ私個人としては、名作ばかり読んでいてもいけないと思うので、名作を読みつつたまには悪書にも触れてみるのがよいと思います。
まとめ
本はわたしたちに新たな気づきを与えてくれますが、
あまりにも多すぎる読書はわたしたちから考える力を奪い取ります。
また、読書においては、その内容を実践することが大切です。
わたしも自分のためのアウトプットとしてこの記事を書いています。
ぜひ、良い読書生活をお送りください!