
この記事の内容:ルイス・キャロル作の小説「不思議の国のアリス」における名言11選を紹介!
- はじめに
- 1. あらすじ
- 2. 小説「不思議の国のアリス」における名言10選を紹介!
- ①お姉さんが読んでいる本を見てアリスは…
- ② 小さくなってしまったアリスがロウソクの火みたいに消えちゃうかもと考え…
- ③大きくなろうとアリスはまたよくわからないケーキに手を伸ばし…
- ④首が長くなってしまったアリスは自分の足に手が届かなくなってしまって…
- ⑤体が小さくなったり首が伸びてしまったりと不思議なことが起こることに対してアリスは…
- ⑥自分がわからなくなってきたアリスは知っている友達を自分だと考えはじめて…
- ⑦ハートの女王の前で歌わなければいけなかった帽子屋は…
- ⑧三月ウサギがアリスに”もっと”お茶をどうぞと言い…
- ⑨教訓好きの公爵夫人が”愛こそが世界を動かす”と言ったときに…
- ⑩悲しそうにしているグリフォンになぜ悲しんでいるのかをアリスは尋ね…
- ⑪目覚めたアリスに不思議の国での話を聞いたお姉さんは…
- おわりに
はじめに

おかしなおかしなセカイのハナシ

ハナシのセカイはおかしいおかしい?

夢も狂気も等しく二重

そんなのオセアニアじゃあ常識なのだよ

んあ?まてまて、それって映画の「パプリカ」では・・・
1. あらすじ
引用:「不思議の国のアリス」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。 2022年5月28日 (土) 23:47 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9)
2. 小説「不思議の国のアリス」における名言10選を紹介!
①お姉さんが読んでいる本を見てアリスは…

さし絵も会話もない本なんてなんの役に立つのかしら?
p11
まだ幼いアリスにとっては、活字だけの本なんて役に立たないもの。アリスとは違って逆に大人の私たちは(少なくともこのブログを読めるほど大人な皆様は)逆に活字ばかりの本だけを役に立つと思って読んでいるのではないでしょうか?
それは私たちの勉強のため、仕事のため。そうやって「活字ばかりの本」は私たちにとって役立つと言えますが、アリスにとってはそんなことどうでもいいんですね。これがアリスが「大人が忘れてしまった幼い頃の私たち」であることを表しているように思います。
そしてアリスの横で本を読むお姉さんはつまり、幼いアリスに対する「大人な私たち」の比喩なのです。この物語の最後にまたお姉さんが登場しますので、また後ほどお姉さんについては触れていきましょう。
② 小さくなってしまったアリスがロウソクの火みたいに消えちゃうかもと考え…

アリスは吹き消したあとのロウソクの炎がどんなふうに見えるのか想像しようとしました。そんなの見たことなかったからです。
P20
これもまた幼いアリスだからこその表現ですね!消えたあとのロウソクの火を見ようなんて考えたこともありませんでした!
それはロウソクの炎というものがアリスにとっては「まだ存在している」ということを表していますよね。それはきっとアリスが「存在が消える」ということをまだ知らないのだ、と考えることができそうです。
現在の私たちが子供の頃によく知っているロウソクはおそらく誕生日ケーキのロウソクでしょう。ハッピーバースデーの歌を歌って家族から祝ってもらい、最後に年齢の数だけのロウソクを吹き消す。
ロウソクとはそんな思い出いっぱいのもの。ロウソクの火が消えてしまっても、祝われることが嬉しくて何度も火を付けて吹き消したくなる。だからロウソクの火は見えなくなっても、まだそこには存在している。
アリスも同じ気持ちだったのかな?
③大きくなろうとアリスはまたよくわからないケーキに手を伸ばし…

でも、アリスは、とっぴょうしもないことが起こるのがあたりまえだと思うようになっていたので、ありきたりの人生なんてつまらなくてばかばかしいように感じられたのです。
P22
おかしなことが次々に起こる不思議の国。でも、現実世界だってそうだと言えませんか?
人生なにかしらの突然のトラブルや、逆に思いがけない幸運があったり。何かが起こるから人生は楽しいものであり、価値のあるものですよね。
でもいつもの私たちの普段の人生は確かにアリスが言うような「ありきたりの人生」でもあります。
どの人生も大事な人生。バランスが大事だと思いました。
④首が長くなってしまったアリスは自分の足に手が届かなくなってしまって…

「ああ、わたしのかわいそうな、ちっちゃなあんよちゃん。これからは、だれがあなたにお靴をはかせたり、靴下をはかせたりしてくれるのかしら?わたしにはもうできないわ!(・・・)ええっと。そうだ、毎年クリスマスには新しいブーツをプレゼントしようっと。」
P23-24
自分の足に何かをプレゼントしたことがありますか?アリスには当然のことのようです笑
自分の体は本当に自分のものなのでしょうか?もちろん個人で言えば、それはあなたの体だといえますし、その責任(健康状態など)はあなたにあると言えるでしょう。
しかし社会的に言えば、その体はまたあなたの家族のものでもあり、それは職場においてはお客様や会社のためとも言えます。
自分の体はそうやって個人と社会の狭間にいることがあらためてわかりますね。僕たちも、そんな僕たちの体に何かプレゼントをしてあげましょう!
⑤体が小さくなったり首が伸びてしまったりと不思議なことが起こることに対してアリスは…

「ほんとにもう、今日はなにもかもおかしいわ!きのうまではいつもどおりだったのに。一晩でわたし、変わってしまったのかしら?ええっと。今朝起きたときは、いつものわたしだったかな?なんかちょっと違う感じがしたような気もするんだけど。でも、ちがってたとしたら、『いったい全体、わたしってだれ?』ってことになるわ。ああ、それって大問題!」
P26
わたしを知らないわたしたち。アリスによればわたしは連続した存在である、らしいですね。
つまり、わたしはいつまでもわたしであって、変わることはない。それは幼いアリスがまだ変化をしていないということを表しています。しかしそれに気づき始めている。
だから「いったい全体、わたしってだれ?」という問いに僕は「いっぱいいる私のなかの一人が”わたし”なんだ」と答えたいと思いましたね。
⑥自分がわからなくなってきたアリスは知っている友達を自分だと考えはじめて…

『じゃ、わたし、だれなの?それを先に教えて。それで、その子になる気があったらあがっていくけど、そうじゃなかったら、ほかのだれかさんになるまで、ここにいる。』
P28
この言葉を聞く限り、アリスにとって大事なのは「だれかでいること」らしいですね。それが子供ながらも私という存在を価値のあるものだとしているという証拠であり、またそうあるべきだという勝手な思い込みであるということです。
でも、実際はそんなことはなく・・・。
⑦ハートの女王の前で歌わなければいけなかった帽子屋は…

『あの調子っぱずれは時間を殺害しておる!やつの首をはねよ!』
P98
帽子屋は時間のことを「時間さん」と呼ぶほどに尊敬していたそうな。彼によれば時間さんに頼めばいつでも好きな時間にしてくれるとのことです。
しかしある日、女王が開催したコンサートにて歌うことになった帽子屋はそのときにテンポの悪い曲を歌ってしまいました。その時に女王に「お前は時間を殺害している!」と言われたんですね。それ以来彼の時間は6時で止まってしまい、ずっとお茶会を開かなければいけなくなったのでした・・・。
時間にさん付けをして尊敬の意を込めて呼ぶ帽子屋の描写が個人的にとても好きです。
⑧三月ウサギがアリスに”もっと”お茶をどうぞと言い…

「まだ、なにもいただいていません。」アリスはむっとした口調で答えました。「だから、もっとたくさんなんて飲めません。」「もっと少なく飲めませんだろ」と帽子屋。「ゼロよりもっとたくさん飲むのはとてもかんたんさ。」
p100
これこそまさにナンセンス!!笑
ここでの論理の食い違いはつまり、アリスが「まだお茶をもらっていないというのに”もっと”という表現はおかしいでしょ」と主張しているのに対し、三月ウサギは「お茶を0より飲むのは簡単だ」というお茶を飲む難易度の話をしているからかみ合っていないのですね。
でも、このわけのわからない会話に僕は面白さを感じます。ウサギにとっては「ゼロをより少なく飲むということがいかに難しいかが大切」だとこのセリフからわかりますよね。
僕らの日常生活でもそんなようなことがあるのではないでしょうか?論理が破綻しているからこそ、面白いのです。
⑨教訓好きの公爵夫人が”愛こそが世界を動かす”と言ったときに…

「だれかさんが言ってましたけど[中略]みんながよけいなおせっかいを焼かなければ世界は動くって!」
p121
「よけいなおせっかい」とは何を意味しているのでしょう。作者のキャロルはなぜこのような表現をしたのでしょう。
文学的に研究されたりしているのでしょうが、ここでの僕の回答は「他者からの作用」全般のことを指しているんじゃないかなあと思います。
ちょっとわかりにくいですね笑。説明します。
つまり、「人は自分一人で動く力を持っているのに、それが他の人やモノによって無理に動かされているときがあって、キャロルはそれを批判している」のだと思います。
僕らはやりたいことを自由にやりたいと思っています。でも現実には養うべき家族がいたり、お金のために働かなければいけなかったり、いろんなことを他者や社会から強いられています。
でも、そういう状況にキャロルは批判をしたのだと思います。もっと自由に生きよう!と。しかしキャロル自身もそれが人間として生きていくうえで絶対に不可能なことはわかっている。
だからこそまだ幼くて未熟て純粋なアリスに「だれかさんがよけいなおせっかいを焼かなければ世界は動く」という言葉を言わせたのではないでしょうか?
このだれかさんというのはキャロル自身のことかもしれませんね。
⑩悲しそうにしているグリフォンになぜ悲しんでいるのかをアリスは尋ね…

「なにを悲しんでいるの?」「つもりになっているだけなんだよ。実際は、何も悲しむことなんかありゃしないんだ。さあ、おいで!」
127
この前のグリフォンのセリフに「傑作だぜ!(アリスがなにが?と聞く)なにって、女王様だよ。つもりになってるだけなんだよ。実際はだれひとり処刑なんかしてないんだ。」というものがあります。
つまりグリフォンはあらゆるものが表面的で「つもりになっているだけ」という考えを持っているのです。
これはわかりやすい社会に対するアンチテーゼですね。でもここで重要なのは、グリフォンが悲しそうにしていることだと僕は思います。
グリフォン自身もそれが偽物の悲しさであることを理解している。でも、実際にアリスにはそれが悲しそうにしていると「見える」。
感情のことだからはっきりとした答えはありません。でも、グリフォンは自分ではわかっていないけれど、本当に悲しんでいるのかもしれません。
ここにアリスが物語のはじめのほうで言った、「わたしってだれ?」というテーマに結びついてくるのかなあと思います。
わたしはわたしを知らない。まさに哲学者ニーチェが言っているように「われわれはわれわれに知られていない(道徳の系譜より)」のでないのでしょうか。
⑪目覚めたアリスに不思議の国での話を聞いたお姉さんは…

でも、わかっていたのです。目を開けさえすれば、なにもかも、つまらない現実に変わってしまうということは。
p172
アリスの話を聞いて夢を見始めたお姉さん。お姉さんもまた夢のなかでアリスと同じように不思議な世界を冒険します。
しかし、アリスとお姉さんで違うのは、お姉さんがそれを「夢である」とわかっていることでした。幼いアリスには夢と現実の区別がつかないのです。
これこそこの物語の一番大切な教訓だと思います。
子供たちはいつも夢を見ている。でも大人たちは現実を知っている。その「大人の空しさ」と「子供の幸せ」をキャロルは描きたかったのだと思います。
みなさんにはどんなすてきな思い出がありますか?
おわりに
ナンセンス文学といわれる「不思議の国のアリス」。ではセンス(論理的)とはいった何なのでしょうか?それについてはこちらの記事をご覧ください!
そして夢と現実というテーマを描いた作品を手がけた漫画家・アニメーター「今敏(こんさとし)」。彼の全作品の紹介を他記事でしたので、こちらもチェック!


なんだかわけのわからないことが起きるセカイでしたが、どこがじ~んと心があったまるようなお話でしたね。

うん…必ずしも泥棒が悪いとはお地蔵さんも言わなかった。

・・・ん?ヒトメさん?

パプリカのビキニよりDCミニの回収に漕ぎ出すことが幸せの秩序です。
五人官女だってです!蛙たちの笛や太鼓に合わせて回収中の不燃ゴミから吹き出してくるさまは圧巻で、まるでコンピュータグラフィックスなんだそれが!
総天然色の青春グラフィクスや1億総プチブルを私が許さないことくらい、オセアニアじゃあ常識なんだよ!

ヒ、ヒトメさん! 夢から醒めろーーー!戻ってこーーーーーーい!!汗
ある日、アリスは川辺の土手で読書中の姉の傍で退屈を感じながら座っていた。すると、そこに服を着た白ウサギが、人の言葉を喋りながら通りかかる。驚いたアリスは、白ウサギを追いかけて、ウサギ穴に落ち、さまざまなものが壁の棚に置いてあるその穴を長い時間をかけて落下する。着いた場所は、広間になっていた。アリスは、そこで金の鍵と通り抜けることができないほどの小さな扉を見つける。(以下略)